ギフテッドとは?発達障害、退屈君との違い

ギフテッドとは、生まれつき突出した知性や精神性、共感力、記憶力、独創性などを持つ人のことです。
ギフテッドの語源は、英語の「gifted(贈り物を与えられている)」 であり、生まれつきの「天賦の才能」を指します。
ギフテッドのIQ(参考知能指数)は、130以上といわれています。
また、ギフテッド教育とは、ギフテッドの稀有な才能を伸ばすことを目的とした教育のことです。

最近、日本でも、ギフテッド教育や飛び級について、議論されるようになりました。
ギフテッドには特別な教育を受けさせるべきだ、飛び級をできるようにするべきだ、といった主張が飛び交っています。
しかし、日本では、ギフテッドの正しい定義が理解されておらず、議論が進まない原因となっています。

アメリカ教育省は、医学的な知見に基づいて「ギフテッドとは、同世代の子供と比較して、突出した知性と精神性を兼ね備えた子供のことである。(1993年)」と定義しています。
しかし、日本では、IQが高い児童全般をギフテッドだと思っている人や、発達障害児(ADHD・ASD)や退屈君のような、勉強ができるもののクラスに馴染めない児童をギフテッドとして特別扱いするべきだと主張する人など、医学的に間違ったギフテッド像を語る人が多い状態です。
そのため、日本の文部科学省は、ギフテッドという言葉を用いず、「特定分野に特異な才能のある児童生徒」と表記しています。
これは、日本人が子供の学力にだけ関心があり、精神性の成熟度に無関心だからでしょう。
このままでは、学力と精神性がともに優れたギフテッドの存在が、無視されてしまいます。
日本でも、ギフテッドやギフテッド教育について、正しい理解が広まるべきです。

【目次・ギフテッドの特性と教育】

それぞれのトピックについて、解説していきたいと思います。

ギフテッドと発達障害、退屈君との違い

ギフテッドは、先天的に学習能力が高く、精神性が成熟し、共感力も高いという特徴があります。
ギフテッドは、優しく大人びていて、思いやりができる性格を持ちます。
また、言語力が高く、人に勉強を教えるのが得意であることが多いです。

先天的な特性には、発達障害(ASD・ADHD)もありますが、これはギフテッドとは医学的に別のものです。
アスペルガー症候群(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)は、過集中によって特定の分野の学習に優れるケースがありますが、精神性の成熟は見られません。
ASDは共感力が低く、人を思いやることが苦手であり、ADHDは衝動性により、我慢が苦手であるという特徴があります。

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退屈君は、後天性の自己愛性人格障害(NPD)で、かつIQが高い児童のことです。
「授業が退屈だから学校に行きたくない」と言い、授業を妨害したり、不登校になったりするという行動が見られます。
テストの成績は良いものの、他の児童より精神性が未熟であり、幼稚でワガママであるというアンバランスさが特徴です。
退屈君は、共感力が著しく低く、思いやりに欠ける言動で、クラスメイトを傷つける問題児です。

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このように、ギフテッドと、発達障害、退屈君は、医学的にも性質的にも、全く異なるものです。

ギフテッド教育と英才教育の違い

ギフテッドは先天性であるため、英才教育や先取り学習によって、非ギフテッドがギフテッドになることはありません。
ギフテッド教育は、あくまでギフテッドの才能を伸ばすものです。
ギフテッドは、生まれつき高い知的好奇心と探求心を持つため、興味のある分野について自発的に学習を行い、学習方法も自分で工夫します。
ギフテッドの能動的な学習をサポートするのが、ギフテッド教育の役割です。
そのため、教育熱心な親主導で幼児教室に通わせたり、知育教材を子供に買い与えたりするような、受動的な早期教育は、ギフテッド教育ではありません。
また、社会性が低くクラスに馴染めない退屈君や発達障害児向けの教育と、ギフテッド教育もまた別物です。

日本には、「子供のため」と言いながら自己満足のために、子供を天才や秀才にしようとする親が一定数存在します。
子供を所有物と認識している教育熱心な親は、子供を天才や高学歴という、ブランド品にしたいのです。
自分の子供はギフテッドではないかと過度に期待したり、自分の子供をギフテッドにしたいと熱狂したりするのは、親のエゴです。
子供に過度な学習を強要することは、教育虐待と呼ばれます。

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日本にギフテッド教育は必要か?

ギフテッド教育が必要かどうかは、ギフテッドの数とニーズについて考える必要があります。
ギフテッドが生まれる確率は極めて低いもので、百年に一度の天才のような存在です。
アメリカや中国のような人口が桁違いに多い国だと、超少数派のギフテッドでも、それなりの人数になります。
そのため、ギフテッド教育ができる教員を育成し、教育体制を構築することは、国の発展に効果があると期待できます。
しかし、日本くらいの人口だと、国内のギフテッドの数は、とても少ないです。
公立学校でギフテッド教育を行うのは、ごく一部の児童にしかメリットがなく、現実的ではありません。
また、日本の公立学校の労働環境はブラックであるため、ギフテッド教育に対応する余裕などありません。
日本でギフテッド教育を普及させるには、私立学校や学習塾、オンライン学習事業を行うIT企業などが提供するしかないでしょう。

また、ギフテッド教育は親のニーズであって、ギフテッド本人のニーズではありません。
勉強好きでない凡人の親ほど、自分の子供に特別な教育を受けさせたいと考える傾向があります。
しかし、学習力が高いギフテッドの勉強スタイルは、独学であることがほとんどです。
ギフテッドは、自分のペースで自学自習するという勉強方法を好みます。
テキストを読み、問題集を解き、解けなかった問題があれば解説を読んで理解するという、自立的な学習方法が自然と身につきます。
ギフテッドは、予習と復習で勉強が完結するため、授業を必要としていないのです。

日本に飛び級制度は必要か?

日本では、勉強が得意な児童の浮きこぼれ問題の解決策として、飛び級制度を導入するべきではないか、という声も上がっています。
しかし、日本の教育カリキュラムの特徴と、日本人の国民性を考えれば、飛び級制度はデメリットが大きいと考えられます。
日本の教育カリキュラムは、高校で一気に学習内容が難しくなるという特徴があります。
小学校、中学校で成績優秀で、周囲から神童と持てはやされていた子供が、高校に入った途端、成績がガクッと落ち、一流大学に合格できないというケースは珍しくありません。
もし、日本に飛び級制度があったら、小学校から中学校の間で飛び級した生徒が、高校で落第して結局、元の学年に戻るという事態が頻発する可能性が高いのです。
思春期の子供にとって、落第するというのは精神的なダメージが大きいものです。
日本は精神的なケアが乏しい国なので、「落第した人」というレッテルを貼られることで、大人になってもコンプレックスを引きずってしまうかもしれません。
飛び級制度は、する必要のない落第をさせるリスクが高いため、導入するべきではないでしょう。

まとめ

ギフテッドの特性とギフテッド教育について解説しました。
ギフテッド、発達障害、退屈君が混同されている現状では、ギフテッド教育についての議論を進めていくのは難しいでしょう。
ギフテッド、発達障害、退屈君は根本の性質が全く異なるため、ギフテッド教育と称して、この三者を一緒くたにしたクラスを設けるのは、大きな間違いです。
ギフテッドは、精神性が優れ大人びているという性質があるため、ワガママで幼稚な退屈君や、共感力が低いASD、衝動的で落ち着きのないADHDの児童と一緒にされると、苦痛を感じてしまいます。
高IQ児童向けの教育について議論する場合は、ギフテッド、発達障害、退屈君の違いを正しく理解する必要があるでしょう。